【ブルームキャピタル】「売却後の三十億円」――M&Aアドバイザーが見た、経営者の投資判断の本質

【ブルームキャピタル】「売却後の三十億円」――M&Aアドバイザーが見た、経営者の投資判断の本質

会社売却の現実から見えてくるもの

売主側のM&Aアドバイザリーを専門とする立場として、私はこれまで数多くのオーナー経営者が「会社売却」や「事業売却」という人生の大きな節目を迎える場面に立ち会ってきた。

日本のM&A市場は近年、構造的な変容を遂げている。少子高齢化による後継者不在問題の深刻化、事業承継税制の整備、そしてPEファンド(プライベートエクイティ)や大手戦略バイヤーによる中小企業買収の活発化が相まって、売却を選択するオーナーの数は増え続けている。帝国データバンクの調査によれば、後継者が「いない」と回答した企業は全体の半数を超えており、M&Aによる事業承継件数も増加の一途をたどっている。経営者による「売却(いわゆる「M&A」)」はもはや特別なイベントではなく、経営者の現実的な選択肢のひとつとして定着しつつある(また、会社の将来は結局はIPO、M&A、相続、倒産・清算くらいしかないという事実も重要だ)。

特に直近では、買い手側の資金調達環境の変化や、PEファンドの国内活動の活発化により、売却価格の評価倍率(EBITDAマルチプル)が底上げされる業種・規模が広がっている。数年前であれば「うちの規模では無理だろう」と思っていたオーナーが、想定外の高値で売却できる可能性が生まれているのが現在の市場だ。

そして、私が日々の業務の中で痛感するのは、「売却で得た資金をどう運用するか」という問いに対して、明確な準備ができている経営者がいかに少ないか、という事実だ。会社を売ることに全精力を注いできた経営者が、数億・数十億円という現金を手にした瞬間、初めて「運用」という未知の世界に放り込まれる——これが実態である。銀行や証券会社の担当者が矢継ぎ早に接触してくる中で、何が本当に自分に合った選択なのかを冷静に判断するのは容易ではない。本稿では、M&Aアドバイザーとして現場で見てきた経営者たちの投資行動を整理しながら、売却後の資産運用について考えてみたい。なお、本稿では紙面の都合上触れないが「どうやって資金を使って楽しむか」も重要なポイントであり、これについてのトピックも機会をみて著者のYouTubeチャンネルで公開する予定だ(『会社売却道場』https://www.youtube.com/@bloomcapital)。

売却後の経営者は、何をしているか

売却後の資産運用として、私が現場でよく目にするパターンは大きく以下の通りだ。

①そのまま銀行預金に置く(売却リリース当日に銀行から連絡が来ることも・・・) 
②債券投資(国内・海外) 
③不動産投資 
④上場株式・ファンド
⑤新たな事業への再投資

意外に多いのが①だ。「とりあえず置いておく」「まずは税務の整理が終わってから」という判断は一見合理的に見える。しかしこの「待機」の期間が、知らぬ間に損失を生んでいる。余談だが、売却益にかかる納税前に資産投資して当該資産を担保に借入し(後述のレバレッジの活用)そこから税金を支払うということをする場合もある。

「何もしない」のはリスクではないか――インフレとの静かな戦い

日本銀行が長らく掲げてきた2%のインフレ目標が現実のものとなりつつある今、銀行預金(金利0.1〜1%程度)に資産を置くことは、実質的に毎年1〜2%ずつ資産が目減りすることを意味する。

では日本国債はどうか。直近の10年国債の利回りはおおむね1.0〜1.5%程度であり、インフレ率を差し引いた実質リターンはほぼゼロに近い。長期債でも2%前後にとどまる現状では、「安全資産」とされながらも実質購買力は守れていない。

これに対し、米国の20年物国債の最終利回りは現時点で4.5%前後で推移している。仮にドル円為替のリスクを踏まえたとしても、ドルベースの実質リターン(インフレを考慮したリターン)は依然として魅力的な水準だ。「為替リスクがあるから」という理由で敬遠する向きもあるが、そもそも円資産に100%集中すること自体が、円の購買力低下リスクへの無防備な露出でもある。グローバルな富裕層が資産の一部を外貨建て債券で保有するのは、まさにこのリスク分散の文脈からだ。円建てで資産を保有し続けることの機会コストを改めて考えると、「何もしない」という選択の代償は決して小さくない。

富裕層が実践する「階段式レバレッジ」の仕組み

国内外の著名なプライベートバンク(PB)では、預け入れた資産を担保に低コストの融資を受けることができる。具体的には、保有する債券の評価額の8割程度を掛け目として、1〜2%台の金利で借り入れが可能なケースがある。

日本では難しいが海外のPB等であれば、例えば10億円の米国債を保有している場合、8億円を借り入れてさらに米国債を購入し、そこからまた6〜7億円を借り入れる——という「階段式」の資産積み上げが可能になる。海外のPBでは、この構造を複数段積み重ねることができ、理論上は元手の数倍規模のポートフォリオを構築することもできる。4.5%の利回りに対して2%以下のコストで調達できれば、スプレッドで着実な収益を得る構造となる。

もちろんレバレッジは諸刃の剣であり、金利上昇局面や債券価格の下落局面では損失も拡大する。レバレッジ比率をどこで止めるか、担保余力をどの程度残しておくかという判断が重要になる。しかしこの仕組みを知っているかどうかで、同じ10億円の出発点から生まれるキャッシュフローに大きな差が生まれることは間違いない。

また、こうした情報は投資家コミュニティの中でこそ流通する。「今なら○○銀行が不動産融資に非常に前向きで、金利は0%台で出している」「あのPBは今顧客拡大を志向していて両替の条件がいい」「最初はネット証券で資産を購入しその後PBに移管しては?」——そういった生きた情報が人づてに入ってくるのも、富裕層の世界の特徴だ。コミュニティへの参加は、それ自体が資産運用の一部と言っても過言ではない。

不動産への向き合い方——「損しにくい投資」と「所有する価値」

売却後に不動産投資へ向かう経営者も多い。ここで私が重要だと考えるのは、不動産投資を大きく2つに分けて考えることだ。

ひとつは**「損しにくい国内都心部の不動産」**だ。東京・大阪(さらに条件を絞る必要があるが)の中心部周辺の物件は、長期的な需給バランス、外国人投資家の流入、インバウンド需要の回復などを背景に底堅い評価が続いている。こうした物件に対して、金利の有利な金融機関から借り入れを行い、レバレッジをかけて投資する手法は、うまく設計できれば実質的なリスクを抑えながらインカムを確保できる。繰り返しになるが、どの金融機関が今どういう条件で融資を出しているかという情報はコミュニティに属していなければ入ってこない。情報格差が収益格差に直結する世界だ。

もうひとつは**「所有する価値」に目を向けた海外不動産**だ。バンコク、バリ、マレーシアなど、成長著しいアジア各都市の高級コンドミニアムやヴィラへの投資は、単純なリスク・リターン指標では測りきれない側面がある。金額によっては、ハワイ、欧州、オーストラリア等に投資する人もいる。キャピタルゲインやレントの予測が難しい分、リスクは確かに伴う。しかし——そして、ここが富裕層の投資判断における本質的な視点なのだが——「その物件を所有し、使用することで得られる体験価値」を含めてリターンを評価するという考え方が人生を幸せに生きる上で重要だ。

タイのラグジュアリーヴィラを所有することで、現地の文化や商慣習に触れ、近隣に住む富裕層の人脈が自然と構築される。「この地域の物件は隣接する開発計画の影響でこれだけ価格が変動するのか」「ここに集まる富裕層たちはそれぞれどういう経緯で資産を作ったのか」「海外での不動産契約とはこういう仕組みで動くのか」——そういった知識と経験の積み上げは、やがて次の投資判断を精緻にする「無形の資産」となる。純粋な金銭リターンでは赤字であったとしても、「体験の資産化」という観点から見ればトータルでプラスになるケースは少なくない。結局、人は死ぬときにどういう経験をしてきたかで人生の満足度が大きく影響を受けるというのが著者の考え方だ。(但し、本当に売却できず困る事例もあるので慎重に判断すべきだが)

「売らない」という選択肢と、時間の金銭的価値

ここで少し視点を変えて、会社売却のタイミングについても同じ考え方を当てはめてみたい。

仮に、あなたの会社が年率50%のペースで安定的に成長しているとしよう。であれば、今売却せず1年待てば、50%以上のリターンが期待できることになる。バリュエーションが将来キャッシュフローに連動するなら、成長率が高ければ高いほど「自社を持ち続ける」ことは最高の投資ともいえる。金融商品として見ると、年利50%を生み出す資産をわざわざ売却して4.5%の米国債に乗り換えるのは、純粋な数字だけ見れば不合理だ。

しかし、幸せの価値とは金銭的リターンですべてが語れるものではない。「今売却しても十分な資産形成となる」と判断できることが前提ではあるが(詳細は省くが小規模売却は別の意味で「悪手」)、売却を選ぶ経営者の多くは、金銭リターンよりも「時間」を取り戻すために動いている。

これは会社売却時の契約条件次第ではあるが、一部の経営者は会社売却後、今まで会社経営に費やしてきた時間が、突然「自由時間」になる。この「時間の再取得」を、私は投資判断と同じように金銭的価値へ置き換えて考えることが重要だと思っている。例えば年間2,000時間を経営に費やしてきた経営者が売却によってその時間を取り戻すとして、その時間で何ができるか——新たな学習、海外視察、家族との時間、あるいは次の起業——それぞれに価値を置いてみると、「今売却することのリターン」はむしろ金銭以外の部分が大きいことに気づく。

不動産投資の文脈でも同じことがいえる。海外不動産投資はリスクがつきものだが、その過程で積み重ねる経験には確かな価値がある。「この体験で何を学んだか」「この人脈から何が生まれたか」を金銭的価値に置き換えてみて、実質的なリターンに「加算」して考える習慣が、売却後の経営者に最も必要なマインドセットではないかと感じている。この点については、私のYouTubeチャンネル「会社売却道場」(https://youtu.be/Y-lhu3E8F5A)でも詳しく話しているので、ぜひ参考にしていただきたい。

「株式投資は怖い」が誤解ともいえる側面——裏付けられた価値の静かな積み上げ

最後に、株式投資について触れておきたい。「株は怖い」というのが一部の投資家にある感覚だが、これは少し見方を変えると必ずしも正しくない。

社債や定期預金であれば、元本は変わらず、例えば1億円に対して年4%のリターンが永続する。これは確かに安定している。しかし、企業の株式は本質的に異なる仕組みを持っている。企業の税引後当期純利益は純資産に加算されていく。これは「裏付けられた価値の積み上げ」であり、市場価格がどう動こうと、企業が利益を出し続ける限り、その株式が表す実体的価値は静かに増え続ける。

この仕組みから派生する重要な現象がある。純資産の増加に連動して一定の配当を出し続ける企業の場合、投資した当初の取得簿価に対する配当利回りが、年を経るごとに高まっていく。最初は配当利回り1%だったものが、10年後には株式の取得価格ベースで10%を超えることも理論的にはあり得る。これは通常の債券と異なる。

さらに言えば、「税引前当期純利益はリターンのようなものだ」という視点で成長企業を見ると(純資産に積みあがるという意味ではそう考えることもできる)、リターン自体が自らの資産価値を成長させていくことになる。通常の債券であれば「元本×固定利率」がリターンの上限だが、成長企業の場合はリターンの分子そのものが毎年拡大していく構造を持つ。PER(株価収益率)が一定ならば、利益成長がそのまま株価上昇に連動するともいえ、キャピタルゲインにも大きな影響をもたらす。

株式のリスクは一般的に価格変動率(ボラティリティ)で語られる。確かに短期的な価格変動は大きい。しかし会社売却後、すでに十分な生活資産を確保し長期投資を前提とする経営者にとって、短期の価格変動は本質的なリスクではないとも考えられる。問題は「事業が毀損するか否か」であり、財務基盤が強固で利益を着実に積み上げる企業への長期投資は、見かけのボラティリティに反して実は堅固な資産保全手段になり得る。「意外と安全な投資」という観点から株式を再評価することも、売却後の経営者にとって重要な視点だと思う。このような判断こそ、M&Aを経験してきた会社経営者ならではの判断だからこそ可能となる点ではなかろうか。

おわりに——「損をしない」より「正しく理解する」

会社売却後の資産運用において、最も危険なのは「よくわからないから何もしない」という判断と、「よくわからないまま勧められるまま動く」という対極の判断だ。

本稿で紹介した米国債の実質利回り、階段式レバレッジの仕組み、国内外不動産の性格の違い、そして株式の「裏付けられた価値」という考え方は、いずれも理解し始めれば決して難解ではない。問題は、それを体系的に学ぶ機会が、忙しい現役経営者には少ないという点にある。

私が売主側M&Aアドバイザーとして一貫して伝えてきたのは、「会社を売ることがゴールではない」ということだ。売却は、次のステージへの出発点に過ぎない。資産を守り、増やし、そして何より自分の時間と体験を豊かにする——そのための「投資家としての知性」を人生設計に繋がるように磨いていくことが、売却後の経営者に最も必要なことだと、私は確信している。そして、人生全体を見たときに、どういった「体験」を経験できたのかについて、来るべき将来において満足できることこそがゴールなのではないかと考える。弊社のM&Aアドバイスもこういったことを考えながら常に行うようにしている。

ブルームキャピタル株式会社 代表

著者プロフィール/ブルームキャピタル株式会社 代表。

売主側M&Aアドバイザリーを専門とする。
著書『会社売却とバイアウト実務のすべて』(中央経済社)。適格機関投資家。
YouTube「会社売却道場」運営。
URL:https://www.youtube.com/@bloomcapital

著書『会社売却とバイアウト実務のすべて』(中央経済社)

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